古代中国 - 新たな発見
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| 学校では、世界四大文明を、エジプト、メソポタミア、インダス、そして中国の黄河文明と習ったが、考古学研究の発達と共に、あちこちで、新しい発掘や出土品が発表され、四大文明の概念が覆りそうである。特に、古代中国の文明は、これまで黄河文明のみが脚光を浴びてきたが、最近の揚子江流域における発掘調査が進むにつれ、それが一変しそうである。黄河文明よりずっと古い長江文明の存在が明らかになったからだ。考古学上、大発見と言えるが、考古ファンにとっては、やっぱりそうかと思えなくもない。四大文明は、大河に発祥、発展したことを思えば、逆に大河に文明ありとなりはしないか。 |
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| その前に、北京原人の人骨の数々が、1920年代に中国北京郊外の周口店で発見された。きっかけとなったのは、スウェーデン人考古学者のヨハン・アンダーソンが、1921年に人類のものと思われる歯の |
| 化石を発見したことから。それ以後、完全な頭蓋骨などが発見された。約50万〜60万年前のものとされる。この周口店の北京原人遺跡は、1987年に文化遺産として、ユネスコの世界遺産に登録されている。直立猿人だが、現代人とは異なるDNAを持つ。不思議なことに、第二次世界大戦中、この頭蓋骨5個、歯147個が紛失、未だにその行方が分からない。日本、中国、アメリカのうち、持ち逃げしたのは、果たしてどこか。中国政府は、2005年7月、特別委員会を設置、本格的に捜索に乗り出した。2008年の北京五輪に向けて、文化活動の一環という。 |

周口店の北京原人遺跡博物館前 |
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| 日本人映画監督の佐藤純彌氏の作品の中に、1997年SF大作
"北京原人 Who Are You?" がある。この作品は、北京原人の遺骨の不可解な紛失に着目している点で面白い。物語は、そこからスタートして、北京原人のDNAを不思議にも入手に成功する、そして北京原人を現代人として蘇らせる、それを知ったアメリカや中国が、所有権を主張するという、何ともコミカルな内容だ。 |
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| 中国黄河文明が脚光を浴びたのは、北京原人の歯を発掘したスウェーデン人考古学者ヨハン・アンダーソンが、黄河中流域にある河南省の仰韶(ヤンシャオ)で、彩文土器を発掘した1920年代前半に |

彩文土器、俗にアンダーソン土器 |
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始まる。その直後に、竪穴住居跡が発見される。黄河の中流域に、農耕文化を基盤とする村落の存在が明らかになった。紀元前4千年〜5千年の頃で、仰韶文化、或いは彩陶文化と呼ぶ。彩陶は、中国製だけにいう彩文土器のこと。また、1928年に、黄河下流域の山東省章丘県の竜山鎮で、陶器が発掘された。黒い陶器であったことから、この文化を黒陶文化、或いは地名から竜山(ロンシャン)文化という。紀元前1,500年〜2,000年の頃で、仰韶文化より規模がはるかに大きい集落の存在が明らかになっている。これが、後の殷や周の時代の大都市国家の基盤になった。 |
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| 1920年代以後、黄河流域で仰韶文化や竜山文化が発見され、古代中国の文明の発祥地は、黄河流域とする見方が一般的であった。ところが、1970年代に入って、揚子江の下流部、杭州湾に近い |
| 場所で、河姆渡(かぼと)遺跡が発見された。これは、稲作農耕の跡で、住居は、高床式であることも明らかになった。時代は、紀元前6千年〜7千年の頃。それまで、揚子江流域の文明は、黄河流域の派生的文明として考えられていた。これを根本的に覆すことになる。また、世界の四大文明が即、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明とは言えない状況になった。しかし、考古ファンにとっては、こういった新たな発見がある度に、胸がときめく思いがする。 |

河姆渡(かぼと)遺跡で復元された住居 |
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| ここで、黄河文明と長江文明の人々の違いを考えて見よう。黄河文明は、小麦を中心とした焼畑式の畑作農業、一方、長江文明は、定着居住型の水田式の稲作農業。黄河文明は、移動する為、人との交流が頻繁である。従って、社会的知識に富み、人文科学的な才能が生まれる。文字の発明や、儒教の発展に繋がった。長江文明は、定着性の為、人的交流がない。従って、文字を持たない。水田稲作栽培は、自然の恵みに負う所が大きい。自然崇拝的、雨乞いのような呪術的な信仰、アニミズムが芽生える。年代的な違いがあるにしても、黄河文明が、ずっと発展した社会であったであろう。長江文明は、世界最古の文明と言えないだろうか。近い将来、世界の五大文明の1つとして、語られる日が来るかも知れない。また、長江流域は、稲作発祥の地として、新たに脚光を浴びることも考えられる。 |