古代エジプト - 謎と神秘
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クフ王のピラミッド(中央) |
エジプトに入って、疲労の度合いも限界、しかも汗と埃まみれで息をするにも苦しい状態だった。ところが、夢にまで見たピラミッドやスフィンクスを遠目に見た時、疲れも何も吹っ飛んでしまった。紀元前数千年の古代エジプト時代、こんな巨大石造物が人間の手によって作られたとは、到底信じがたい。何百万もの石を積み重ねて作られている。私の家は、3代に渡り石材店を営んでいる。しかし、作ってくれと頼まれても、引き受けることはできない。いくらお金を積まれても。エジプト文明の偉大さと神秘がそこにある。世界中の観光客を引き寄せて止まない理由がある。しかし、ピラミッドは意外とあちこちにあって、その数には驚いた。ギザ台地のクフ王のが最も有名だが、南のアブシールやサッカラには、まだ多くのピラミッドが存在する。 |
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| 1922年、イギリス人考古学者のハワード・カーターによって、当時の都テーベ、今のルクソールで |
| ツタンカーメンの墓が発掘された。ツタンカーメンは、古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)に10歳で紀元前1333年に即位、18歳で亡くなる。歴史上、陰が薄いはずだが、他のファラオ(王)の墓と違い、数千にも及ぶ副葬品が、そっくりそのまま残っていた為に、彼の名前が世界中で有名になった。他の王の墓においては、貴重品は、全て略奪されてない。数多くある歴代の王の墓が発見されているこの一帯を"王家の谷"と呼ぶ。ツタンカーメンの墓の内部は、写真撮影は禁止。彼のミイラは、今も黄金の棺の中で、眠っている。回りは、一面壁画で彩られている。有名な、彼の黄金のマスク(死面)は、カイロ市内のエジプト考古学博物館で見られる。 |
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ツタンカーメンの死面 |
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| 古都テーベ(今のルクソール)は、紀元前1991年、古代エジプトの首都として発展、紀元前650年まで栄えた。第12王朝期(紀元前20〜19世紀)は、有能な王(ファラオ)が5世代に渡って君臨し、地元の神であるアモン(Amon)を国の主神として崇拝、神殿の建立を始まる。ルクソール神殿や近くのカルナックにある神殿群は、今なお原形を留めている。その壮麗な威容とスケールの大きさは、観光客を引き付けて止まない。壁に刻まれた古代エジプト特有の図柄は、目を見張る。神殿には、独特の塔門(pylon)が建っているが特徴的である。ルクソール神殿からカルナックの神殿群までの約3Kmは、両側をスフィンクスが並ぶ道路で結ばれている。これらの神殿は、ナイル川を挟んで東側に存在し、西側は、ネクロポリス(大墓地群)がある。王家の谷、王妃の谷や、多くの葬祭殿が存在する。 |

ルクソール神殿 |
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塔門 (Pylons) |
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高さ40Mの塔門 |
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王妃の谷:墓内部の壁の装飾 |
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| エジプト研究をエジプトラジー(Egyptology)、エジプト学という。こういう風に、確立した学問になっているのは、古代四大文明の内、唯一。テレビでお馴染みの吉村作治教授は、エジプト学の世界的権威である。エジプトの魅力に取り付かれた一人でもある。今も、新しい発見を求めて、エジプトの大地を掘り続けている。世界中の考古ファンにとって、古代エジプトの謎と神秘は、永遠のテーマかも知れない。 |
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| 私は、カイロに戻って一泊し、翌日にアレキサンドリアに行くつもりであったが、体調を崩し、ホテルで休養して、日本に帰ることにした。アレキサンドリアのグレコ・ローマン博物館で、クレオパトラの銅像を目にしたのは、ほぼ8年後にエジプトを再度訪れた時であった。 |
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| アレキサンドリアは、エジプトを征服したマケドニア王のアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)によって、紀元前332年に建設される。町の名前は、それに由来する。アレクサンドロスの死後は、その部下であったマケドニアの将軍がプトレマイオス1世として即位、プトレマイオス朝が誕生する。王朝は、紀元前30年に、あの女王クレオパトラが、ローマのオクタウィアヌスに追われるまで、存続した。 |