海外旅行マニア
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周囲の人間は、私のことをいつの間にか海外旅行マニアと呼ぶようになった。これまでの人生で、海外旅行は数多くした。長期、短期を合わせて、50回以上はしているだろう。私が海外旅行を思い立ったら、誰も止めることはできない。これは、若い頃からそうであった。とは言っても、当時は誰も止めはしなかった。家族や数少ない友達は、いい厄介払いと思っていたに違いない。普通の海外旅行者なら、帰国後は、回りから手土産や土産話を期待されるのが当然だろう。しかし、この海外旅行マニアだけは、それはない。楽と言えば、楽である。 |
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| 一度、海外旅行に出ると、1ヶ月、長い時は数ヶ月は帰ってこない。帰ってきた時には、近所の人からは、陰の薄い存在になっている。私の海外旅行は、決して大名旅行ではない。そんなお金は持ち合わせていない。ほとんどが無銭旅行に近い。従って、予定表はない。いつ帰国するか、自分でも分からない。そんな無計画で気ままな、極めて身勝手な海外旅行マニアである。 |
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| 小学校に上がって間もない頃、私は、乗り覚えた自転車でよく遠出をした。それで学区の違う同年輩の者と、友達になった。近所や同じ学校の者とはなぜか馴染めない。自分にとっては、どこか違う者との交流の方が、何故か楽のように思えた。私の海外旅行マニアの原点は、その頃にあったように思える。何だか、変人のようだが、人生ずっとこれを通して来た。これからも、そのつもりである。 |
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遠出の日は、必ず遅くなった |
夕方になっても、帰らない私を心配して、母親は父に内緒で警察に連絡した。父親が知ると、夫婦喧嘩になるからだ。その夫婦喧嘩は、近所では有名であった。その変わり者の親爺は、8年前に72歳で他界した。亡くなる数日前に、私に打ち明けた。夫婦喧嘩の原因は、全て私だったと。
幼少の頃の放浪壁は、高校時代に再開する。夏休みに、自転車で日本縦断を思い立つ。思い立ったら止まらない。当時、親爺との関係は、決して良くはなかった。しかし、男と男の暗黙の信頼関係があったように思える。当時、病気がちのお袋は、反対する元気さえなかった。夫婦喧嘩も減り、親爺のすることは全て黙認。私は、この事を利用し夏休みの2、3ヶ月前から、ちょこちょこ親爺の家業である石材店を手伝った。旅行費用を稼ぐ為だ。親爺は、寡黙ながら、それまで見せたことのない表情を浮かべ、やさしく仕事を教えてくれた。 |
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当時の北海道摩周湖 |
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夏休みが近づくと、なぜか興奮して勉強は手に付かない。夏休みは、補講授業が常識だった。進学高校に運悪く入学した私は、同級生と同じ事をするのがいやで、現実からの逃避行を決め込んだ。そして、日本縦断の旅に出た。初めての北海道は、感動的だった。大陸的な地形、風土は、海外旅行の願望をより強くした。 |
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| やっとの思いで入学した大学だったが、思う所あって休学、日本脱出を試みる。何歳だったか覚えていないが、イギリス人の子供が、アフリカを縦断して南アフリカにいる親の元に歩いて単独旅行する映画を見た。子供心に忘れることができなかった。私は、決して考古学者でもなければ、人類学者でもない。しかし、人類は、どうしてこの地球上に誕生したか、いつも疑問に感じていた。 |
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| 色んな書物を読み、知識を広げようとするが、根が勉強嫌い、長続きしない。そこで、人類のアフリカ起源説を信じて、また、映画の主人公をまねるようにアフリカ旅行を思い付く。病弱の母親に話すと、反対することもなく、ベッドの上で無言だった。私は、それを暗黙の了解と理解した。親爺には、よく覚えていないが、直接は言わなかったような気がする。出発の日は、朝から大雨。私は、雨の中を物ともせず、荷物を載せた自転車で東京に向った。その時の私は、21歳。海外旅行マニアのスタートである。 |