古代インド - 釈迦誕生、仏教発祥の地
|
|
| 日本人にとって、インドとの関わりで最も身近な存在は、カレーかも知れない。しかし、古代インドの歴史の旅なので、その次に身近な仏教について話を始めよう。インドは、仏教発祥の地である。最初に、釈迦が、仏門を開いた国インドを、古代から順を追って振り返ったみよう。紀元前1,500年頃、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人(現在のイラン高原から中央アジア地域の出身とされる)が、先住民のドラヴィタ人を南インドに追い遣るように侵攻、そして定着する。ドラヴィタ人は、紀元前1,800年頃に、一帯が砂漠化して滅亡したインダス文明の末裔とする説があるが、定かではない。 |
|
| アーリア人は徐々に、インドで発展を遂げ、あちこちに都市国家を作った。紀元前1,000年頃迄には |
| ヴェーダ(原始聖典)に基いたバラモン教が確立し、司祭者バラモンを頂点とした貴族、平民(商人)、奴隷からなる身分制度、いわゆる現在のインドでも色濃く残るカースト制度の原形が出来上って行く。バラモン教は、後のヒンズー教の母体。紀元前5〜6世紀頃になると、商業の繁栄に伴い、身分制度やバラモン教への不満が表面化。この時期に、八正道(はっしょうどう)を説く釈迦によって仏教が開かれた。そして、仏教は支持され、広い地域に布教される。1世紀頃、インダス川流域にクシャーナ朝が誕生、プルシャプラ(現在のパキスタン・ペシャワール)に都を置く。ペルシャと中国の貿易路(シルクロード)にあり、商業が発展、また、クシャーナ王朝のカニシカ王は、仏教を厚く信仰した為、ギリシャの影響を受けたヘレニズム芸術と融合した独特の仏教芸術が芽生える。その地名からガンダーラ美術という。 |

ガンダーラ美術の仏像 |
|
|
| 釈迦の時代は、偶像崇拝を認められかったが、この地は、宗教的に寛容だったらしく、仏像が彫られたようだ。多くの仏像や仏教遺跡が残っている。この頃、個人の救済のみを目的とする仏教(小乗仏教)と違う、万人の救済を目的とした大乗仏教が芽生える。これは、やがて中国、朝鮮、日本へと伝わった。4世紀前半に北インドを支配したグプタ王朝のチャンドラグプタ2世の時代の5世紀前半に、 |

ナーランダー仏教大学跡 |
|
ナーランダー僧院(仏教大学)が建てられた。この僧院は、12世紀頃まで仏教の最高学府として栄え、多くの仏道を志す教徒が学んだ。7世紀前半には、玄奘三蔵(三蔵法師)が5年間ここで学んでいる。最近になって、遺跡跡に隣接した場所に、彼を偲んで記念堂が建てられたと聞く。玄奘三蔵はその後、サンスクリット語で書かれた多くの仏教教本を持ち、ヒンドゥークシュ山脈やパミール高原を越える困難な旅路に耐えて、長安に戻った。そして、20年の歳月を費やし、教本を中国語に翻訳した。インド仏教は、その後、教義研究が中心となり、民衆の心から離れ衰退、代わって、ヒンズー教が、人々の間に浸透した。16世紀になって、イスラム王朝のムガール帝国が勢力を広げ、イスラム教の時代になる。 |
|
|
| さて、仏教遺跡を訪ねて見よう。最初は、インドのほぼ中央部マディヤ・プラデシュ州の州都ボパール郊外のサーンチ遺跡。ここの遺跡は、インド南部以外ほとんど全土に建てられた仏教建造物の中でも、特に保存状態が良い。19世紀に、草木に覆われ廃墟と化した建造物をイギリス人のテイラー将軍が発見。サーンチの小高い丘の上に多くのストーバ(仏塔)と各々の四方(東西南北)の入り口に、日本の鳥居のようなトラナ(記念門)が見られる。紀元前3世紀から5世紀頃に建てられたようだ。トラナには、当時の仏教美術を物語るレリーフ彫刻が施されている。特に有名なのが、第
1ストーパの東トラナの女神ヤクシー像。 同じく、サーンチには、5世紀から7世紀にかけて建てられた寺院や僧院址も見られる。 |

サーンチ遺跡の仏塔とトラナ |
|

女神ヤクシー像 |
|
|
| そして紹介したいのは、南隣のマハラシュトラ州にあるアジャンタ遺跡とエローラ遺跡。どちらも石窟寺院群で、1983年にユネスコの世界遺産に登録されている。アジャンタ石窟寺院群は、1815年に、イギリス駐留軍の指揮官士官ジョン・スミスが、虎狩りの途中で発見した。紀元前2世紀から7世紀にかけて造られた大小30の石窟からなる。高さ70〜80m、幅500〜600mの岩壁に掘られている。石窟には釈迦を祭る礼拝堂のチャイティヤ窟と、僧侶が修行する道場のヴィハーラ窟の2種類がある。第9、10,19,26,29石窟がチャイティヤ窟、残りは、ヴィハーラ窟。アジャンタ石窟群で特に有名なのは、ヴィハーラ窟に残る壁画である。6世紀〜7世紀頃のものが、ほぼ完全な状態で残っている。仏法説話や菩薩像が主に描かれているが、当時の古代インドにおける絵画芸術、仏教美術の絶頂期と思われる。 |

インド地図 |
|

アジャンタ石窟院群 |
|
|

エローラ石窟群第16窟カイラサ寺院 |
|
一方、エローラ石窟群は、5世紀から10世紀に、掘られたものと思われる。この石窟群の特徴は、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教と3つの宗教が共に、時代を分けてこの地に存在したという点である。5世紀〜7世紀に仏教、7世紀〜9世紀にヒンズー教、9世紀〜10世紀にジャイナ教の石窟が掘られた。石窟は、合計34あり、第1窟から12窟までが仏教窟、第13窟から29窟までがヒンズー教窟、第30窟から34窟までがジャイナ教窟である。特筆すべきは、第16窟のカイラサ寺院で、エローラ石窟群を代表するものとして有名である。
| 巨大の岩を100年以上も掛けて彫った寺院の規模は、ギリシャのパルテノン神殿をはるかに凌ぐ。神殿や様々な神の彫刻、木目細かい彫刻が施された柱など目を見張るものばかり。また、中庭には、何頭もの象が建物を支えるように見せかける工夫がある。エローラ石窟群遺跡は、間違いなく、エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコール・ワットに匹敵する世界の建造物である。 |
|

カイラサ寺院内部の象の彫刻 |
|
|

タージ・マハール |
|
インドに、もう一つ忘れてならないタージ・マハールがある。イスラム王朝のムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった妻ムムターズ・マハルの為に建てた霊廟である。イスラム建築の粋を集め、20年以上の歳月を費やして1653年に完成した。ムガール帝国の居城だったアグラ城は、ヤムナ川を挟んでタージ・マハールの対岸にある。 |