古代ローマ - 兵どもの夢の跡
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| 古代ローマは、紀元前8世紀頃、ラテン系民族によって建国された。隣の先進国ギリシャより、かなり遅れていたことが想像される。紀元前337年に、ギリシャを征服したマケドニアのアレクサンドロス大王が、勢力拡大の野望を西のローマに向けず、ペルシャやエジプトに侵攻したことから容易に分かる。古代ローマは、紀元前509年、王政から共和政に移行、貴族で構成された元老院(貴族院)中心で政治が行われた。紀元前272年、ローマは、周辺の都市国家を従属し、イタリア半島を統一。そして、次第と勢力を外部に広げ、紀元前148年にマケドニアを、紀元前146年にギリシャとカルタゴを征服した。 |
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| しかし、軍の指揮官と元老院との権力争いが止まず、国内は混乱した。軍と貴族の実力者3人による三頭政治で、一時の平静さを保つが、権力闘争を繰り返した後、紀元前27年、オクタヴィアヌスによって、帝政が始まる。ローマ帝国のスタートである。そして、ローマ帝国は、395年に東西に分裂、東ローマ帝国は、首都をコンスタンティノポリス(現在のトルコ・イスタンプール)に置く。西ローマ帝国は、476年に滅亡するが、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は、1,453年にオスマン帝国に征服されるまで、約10世紀半の長きに渡って存続した。不思議な事に、西ローマ帝国は、800年にゲルマン系フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)がローマ教皇より西ローマ帝国皇帝の称号を得て復活。そして、神聖ローマ帝国の時代へ。約10世紀後の1,806年にあのナポレオンの侵攻を受け、解体した。 |
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| ローマ編では、古代ローマ時代に活躍した2人にスポットを当てて、彼らの足跡と、今なお残る彼らに関係した遺跡を訪ねて見よう。1人は、剣闘士スパルタクス、そして、もう1人は、シェーピクピアの作品で有名なジュリアス・シーザー。どちらも英雄だが、共に悲劇的な最期を遂げる。 |
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スパルタクスの最後
Wikipedia より |
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スパルタクスは、トラキア(現在のブルガリア)に生まれる。紀元前1世紀前半のローマは、周辺を支配下に治め、被征服国の軍人を捕虜として、ローマに拉致、奴隷として、農場や鉱山で働かせた。中には、先進国だったギリシャの他地域への影響で、学問や技術に優れた人材もいた。学問に秀でた奴隷は、貴族の子息の家庭教師として使われた。また、軍人であった者も多くいた。彼らは、ローマの貴族や市民の娯楽や慰み物として、円形闘技場でお互い同士の戦いを強いられた。これが、剣闘士(グラディエーター)である。スパルタクスは、トラキアからローマに連れて来られた剣闘士である。紀元前73年、彼は、剣闘士養成所を脱走、これに追随した仲間とローマの鎮圧部隊と戦う。そして、圧勝、伝え聞いた周辺の奴隷達が加わって、一時は総勢数万人の大外人部隊となった。南イタリアを中心に、戦闘は激化し、ローマ軍を打ち負かした。 |
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| 捕虜にしたローマ兵を、逆に剣闘士として、戦わせた。ところが、多勢に無勢、1回は、ローマの富豪の貴族で元老院の実力者でもあるマルクス・リキニウス・クラッススが率いる軍団を退けたが、紀元前71年、クラッスス軍に敗れた。この反乱をスパルタクスの反乱、または、剣闘士の乱と呼ぶ。 |

ローマ近郊のアッピア街道 |
剣闘士を描いた2000年の映画 "Gladiator" は、この反乱から約250年先のコンモドゥス皇帝の時代の物で、スパルタクスとは、関係ない。2年足らずの反乱で、現存する遺跡は、ほとんど無いが、強いて挙げれば、アッピア街道である。全ての道は、ローマに通ずと言われた程、当時は、ローマに通じる軍用道路(ローマ街道)が張り巡らされた。アッピア街道は、その内で最も有名。今も現存するアッピア街道は、当時、十字架にはりつけにされたスペルタクス反乱軍の奴隷が、ローマまでの沿道を埋め尽くしたという。また、円形闘技場で思い出されるのは、ローマ市内のコロッセオだが、これは、ローマ5代皇帝のネロ帝の黄金宮殿の跡地に建設されたもので、スパルタクスの時代には、まだ存在していなかった。 |
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ジュリアス・シーザー
Wikipedia より |
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シェークスピア作の同名の悲劇に登場するジュリアス・シーザーは、勿論、英語名で、本名は、ガイウス・ユリウス・カエサル。彼は、名門貴族の家に生まれ、政治家としてのキャリアを若い頃から築き上げていった。生涯3回結婚している。また、多くの愛人と交際した。政治家として、軍人として、才能を開花させ、後のローマ、また、西洋全体にに多大な影響を及ぼした。自らが軍を率いて参加したガリア(現在のフランス)遠征を綴った"ガリア戦記"は、文筆家としての才能も持っていたことを証明している。結局、ローマ共和国の終焉を導いき、帝政への足がかりを作った張本人として、非難がある一方で、前の王政、共和政、後の帝政を通じて、最も重要な政治家であったことは、間違いない。シーザーは、ガリア遠征の大成功で、軍人としての名声が急速に高まる一方で、三頭政治の政敵ポンペイウスと仲が悪化、対決が避けられない。ポンペイウスは、当時ローマの支配下でないエジプトに逃走、シーザーが追うが、ポンペイウスは、エジプトのプトレマイオス朝の側近に、殺される。 |
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クレオパトラの前のシーザー
ジェローム作 |
シーザーは、エイジプトでクレオパトラと対面。今や、ローマの権力者になったシーザー。弟(プトレマイオス13世)との権力争いで、少しでも有利にしようと、シーザーの力を借りようとする。シーザー52歳、クレオパトラ21歳。女好きのシーザーは、クレオパトラの虜になり、宮廷闘争に介入、クレオパトラにエジプトの女王の地位を絶対的なものにしてやる。クレオパトラは、後にシーザーの子供(カエサリオン)を生む。19世紀から20世紀初頭に活躍したフランス人画家のジャン・レオン・ジェロームは、好んでローマ時代の史実を描いたことで知られているが、右のようなシーザーとクレオパトラ出会いをテーマにした作品を残している。 |
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フォロ・ロマーノ (Roman Forum) |
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ローマに帰ったシーザーに待ち構えた事は、意外だった。絶対的な権力を手にしたシーザーが、共和政をやめ、皇帝になることを恐れた元老院や共和政を求む貴族達が画策、シーザーの命を狙う。結局、部下でもあったブルータスのグループに殺されてしまう。その時の、シーザーの言葉が有名な、"ブルータス、お前もか?"。このブルータスは、シーザーより25歳年下で、一説には、息子だったとか。真相は、闇の中だが、女遊びが過ぎると、色んな憶測が飛び交う。シーザーの暗殺現場となった元老院は、ローマ市内のフォロ・ロマーノの一角に跡地がある。また、その近くに、彼の神殿跡が、ささやかながら今もある。 |